日 本 分 析 化 学 会
関 東 支 部 二 ュ 一 ス
第 6 号
1995.9.25 発行
発行者:日本分析化学会関東支部
関東支部は今年40周年を迎えるという。40年前1955年は私が化学を専門としてスタートした年であった。今回はからずも(社)日本分析化学会関東支部長を仰せつかり、40年という重みを感じている。この40年間に化学分析の方法も分析化学も大きく変ってきた。
しかし、元素、化合物の性質が変ったわけではない。地球が生成した時から水はH2Oであり、二酸化炭素はCO2であった。現在は分析技術の進歩により水の構造の解析が進み、理解は深まった。
二酸化炭素も臨界状態で利用するようになり用途が広くなった。分析、すなわち物を分けることは“わかる”ことであり、物を知ること、その量、状態を知ることは全てのサイエンスの基本であり、分析の役割は自然科学の中で重要である。
関東支部は分析化学会の中でもほぼ半数の人数をかかえる大きな支部である。関東支部の活動は日本の分析化学会の将来に大きな影響力をもっている。しかし、本部と支部の活動にはおのずと差があると思われる。
本部の活動は学会としてのアカデミックな活動が中心となろう。支部は本部ではできない“きめ細か”な活動をすることができるはずである。
例えば地の利を利用した人の交流は支部の方がずっと容易であろう。人と人との付き合い、新人の発掘と養成がその重要な役割となるであろう。わが国の学会の発展のために、支部の会員の方々の御協力をお願いする次第である。
10年後、支部の50周年を迎えたとき、その活動の成果の大なることを期待したい。
1995年8月30日
(社)日本分析化学会 関東支部長
綿抜邦彦
関東支部ニュース第6号 もくじ
- 支部創立40周年を迎えて
- おしらせ
- 日本分析化学会関東支部創立40周年記念会
- 山梨地区分析化学会講演会
- 特集 女性会議NGOフォーラム
- ささやかな〃感動〃を
- 富士通(株)・水谷晶代
- −学者の責任−
- 山梨大工・谷 和江
- 『河川水』標準物質について
- 多摩化学工業(株)川崎研究所・赤羽勤子
- デンバーX線分析学会に参加して
- (株)東芝環境技術研究所・竹村モモ子
- 第36回機器分析講習会
- 第3回・アジア分析化学国際会護に出席して
- 編集後記
支部創立40周年を迎えて
創立40周年記念事業実行委員会 委員長 保母敏行
関東支部は1956年9月に発会式が挙行されたと聞いている。そこで、今年1995年は40周年ということになる。昨年、支部長を拝命したときからこの記念すべき年のための準備が気にかかっていた。幸い年度当初に梅沢、長谷川、
松村の3副支部長を始めとした支部役員の方々の助けを借りて記念事業準備委員会というものを発足させる事が出来た。準備委員会では実行委員会をどうするかという事が最初に議論された。そこでは、この40周年は30周年と50周年とに挟まれた、
いわば谷間であると言う事であった。そこで10年後を念頭に、種をまく事業を中心に心もちささやかに祝おうという事になった。ついでに、いろいろ大変だが実行委員会も大袈裟でなく95年度の役員の方に数人知わっていただく程度でそのまま移行することになった。
記念事業は、まず将来学会を担う若い会員の方々にプラスになる内容であり、会員構成を見ると企業会員が過半数を占めている事から、企業内の方々の参加を望めるものと言う事が考えられた。第1弾は会誌「分析化学」に40周年記念論文を掲載していただくという事である。本支部ばかりでなく全国の、原則として35才以下の方々16人に御自分の研究を中心とした小さめな総合論文の執筆が依頼されており、本年末頃より掲載の運びと側聞きしている。第2弾は記念会を催す折に若手に集まってもらい、「若手・最新研究のポスター講演」という事で、ポスターセッションを催す事である。大学・官庁・企業の枠を超えて親睦を深められるようにと願っている。セッション終了後の祝賀会を多くの若手に盛り上げてもらおうとの魂胆も隠されている。
第3弾以下は30周年の時に倣って記念式典・表彰、記念講演会、記念祝賀会を催すというものである。
1995年は大地震を始めとして色々な事が記憶される年となるであろうが、特に現在若手である多くの方々の参加を得て、将来の展望を切り開く端緒になった年として記憶して頂けたらとも願っている。なお、記念会行事はニュース3面のように予定しています。
詳しいプログラムは、ぶんせき誌10月号をご覧下さい。多数の方のご参加をお待ちしております。
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お知らせ
日本分析化学会関東支部創立40周年記念会
- 期 日
- 11月17日(金)12時より
- 会 場
- 東京簡易保険会館「ゆうぽうと」
- 〔東京都品川区西五反田8-4-13、交通:JR五反田駅下車5分、電話03-3490-5111〕
- ポスターセッション (発表42件)
- ポスター掲示時間 12時〜16時30分
- 討論コアタイム 13時〜14時
- 記念式典・記念講演会 (14時〜17時)
- 記念式典来賓の挨拶、講習会協力メーカーに感謝状の贈呈等
- 記念講演会
- 1. 薬学における分析−研究の芽生えと拡がり (東京薬科大学)高村喜代子
- 2. 脳機能計測と分析科学 ((株)日立製作所中央棚究所)小泉英明
- 3. 環境と分析化学 (国連大学)不破敬一郎
- 記念祝賀会 (17時15分より)
- 参加費5,000円(記念祝賀会参加者のみ)当日受付にてお支払いください。
- 参加者全員に記念品の用意があります。
- 参加申込方法
- 参加希望者はFAX又ははがきに「創立40周年記念会申込」と題記のうえ氏名、所属及ぴ式典講演会・記念祝賀会への参加の有無を明記し、1O月25目(水)までにお申し込みください。
- 申込先
- 〒141東京都品川区西五反田1-26-2五反田サンハィツ304号日本分析化学会関東支部[電話:03-5487-2790、FAX:03-3490-3572]
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山梨地区分析化学会講演会
- 日 時
- 10月20日(金)13時30分〜16時
- 会 場
- 山梨大学工業会館
- 〔甲府市武田4-3-11、交通:JR中央線「甲府」駅北口下車、徒歩で約20分、タクシーで約5分〕
- 講 演
- 1.「サリン」雑感 (信州大理)加藤 博
- 2. 分析化学における「混ぜる」と「分ける」 (山梨大工)鈴木義仁
- 参加費
- 無料
- 懇親会
- 講演終了後、山梨大学厚生会館にて行います。出席ご希望の方は、来る10月16日(月)までに下記あてこ連絡ください。会費(3,000円〉は当日会場にて納入願います。
- 申込先
- 〒400甲府市武田4-3-11山梨大学工学部化学生物工学科谷和江〔電話:0552-20-8626,FAX:0552-20-8571〕
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ささやかな〃感動〃を
今年は、私が富士通に入社して10年目に当たります。この10年、半導体製造分野での問題に、分析(原子吸光光度法、ICP-発光分光法、ICP-質量分析法等)を通して接してきました。今でこそ、LSIがコマーシャルにまで登場するようになりましたが、
入社当時の半導体分野は華々しいコンピュータ業界の裏方的存査で、新入社員も最初から配属を希望してくる人は稀でしたし、私もその一人でした。また、その中で分析を担当するとなると、本当に裏方の裏方で、
実際に分析したことがどう役立つのかを認識できるようになるまでには、数年かかりました。しかし、最近ではコンピュータが普及してきたことによりLSlの知名度も高くなり、自分の行った仕事が実際のモノの性能等に現れるのを見ることができると、
偶然に配属された職場とはいえ、仕事の実感といったものが僅かながらわかるようになってきました。
ところで、今年は戦後50年に当たり、報道でいろいろな特別番組が組まれています。その中で、戦後の日米コンピュータ戦争で”アメリカに勝った男”として、当社の故池田敏雄氏の特番があったのを、ご覧になった方もいらしたかと思います。
入社当時、その人の名を伝説のように教えられ、僅かな出来事を耳にしただけで、今日まで大した興味も無く過ごしてきました。放映が、ちょうど「テレビでも見るか」というような時間帯であったこともあり、軽い気持ちで見始めたこの番組は、
モノを作る者にとってものすごい感動を与えるものでした。手前味噌で恐縮ですが、善段何気なく接しているコンピュータの発展に、こんな型破りな天才技術者が大きく関与していたということをちょっと御紹介したいと思います。
昭和21年、折しも終戦の翌年に池田氏は入社しました。その頃、当社は通信機器のメーカーとして、電話機を作る会社でした。数学を得意とし、入社の翌年には、当社がGHQに収めた電話機の故障がハード的な問題では無かったことを、数値解析でみごとに証明し、
その天才ぶりを発揮しました。しかし、やはり天才は普通の人とはちょっと違っており、ほとんど出社せずに良くいえばマイペースで、自分の興味のおもむくままに仕事をする人だったようです。1952年に、コンピュータの製造に着手する際、
その演算回路の基本設計は池田氏一人にまかされ、興味の対象はコンピュータに向けられました。その際、多くのアイディアを出し、現在存在する演算回路のほとんどをこの時すでに考え出していたといわれ、モノ作りの哲学として「感動することが一番。
感動しないと始まらない。」という言葉を残しています。その後、次々と高速で正確な計算のできるコンピュータを発明しましたが、1971年に政府がコンピュータの自由化をアメリカ側から求められた時も素晴らしい決断力を発揮しました。
それまでは“巨人”といわれてきたIBM社とは別に、独自の開発を進めてきましたが、自由化となればソフトウェアを多く使えるハードの方が有利になります。そこで、一転してIBM互換路線(IBMのソフトが使えるような機械をつくる)での勝負に出ることとしました。
いわば、他人の土俵で相撲をとることに敢えて挑戦したのです。この決断にはある勝算があり、必ずIBMを越えるモノを作ってみせるという意気込みとともに、アメリカのメーカーと提携することをすでに考えていました。これが功を奏し、
世界初の全面LSI搭載のコンピュータが完成したのは1974年でした。この成功により、日本のコンピュータは「アメリカを越えた」と言われましたが、実はこの評価を本人が受けることは無くその数十日前に他界していました。その最期も数奇であり、
空港にカナダからの顧客を迎え、握手を交わした時、蜘蛛膜下出血で倒れ、その4日後に僅か51歳で帰らぬ人となったそうです。もちろん、成功は池田氏一人で行えたものではなく、周りの理解と協力があってのものですが、それに到達するまでの発想と執念と決断力には、
その成果しか伝わらないこちらまでも感心させられるところがありました。
先日は、WINDOWS' 95の発売がニュースの話題となっていましたが、ソフトウェアの発展に伴い、ますますコンピュータの存在が身近になっていくと思われます。今、池田氏が生きていたら、次はどんなことを考えたかたいへん興味が沸くところです。
天才を真似することは私のような凡人には不可能ですが、せめて自分が興味を持ったことへの執念だけは持続し、ささやかな”感動”が味わえるようになりたいと思いました。
富士通(株)・水谷晶代
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−学者の責任−
去年の夏、連日の最高気温記録に「甲府」の地名をよく耳にした。今年は、「上九一色村」である。「カミクイシキムラ」と読む。ときどき、「カミクイッシキムラ」と報道されたりすると、日頃山梨に批判的な筆者も愛県心がわいてきて不愉快になる。
これは、「清里」を「ヨ」にアクセントを付けて発音された時に感じるものと同じである。話が横道にそれてしまったが、この上九一色村を一躍有名にしたオウム事件で、気になることは、オウム真理教に好意的だったとされる宗教学者たちである。
彼らは、自分たちの言動にどのような責任をとるのだろうか。当事者たちには、何らかの判決が下るだろうが、彼ら学者たちは、オウムウオッチーや宗教評論家からの非難の声に耐え世間が忘れてしまうのをひたすら待っていればよいということなのか。
彼らは大学の教官であり、中にはその影響で教え子がオウムに入信した者もいるという。しかし、今だに自分の言動に責任をとった者もいないし、逆に自分は教義に対して評価をしただけだと答えた者もいた。昔ほど(どのくらい昔なのかと問われるとちょっとこまるが)
大学の先生の意見は重要視されてはいないとは思うが、それでも著名な先生のお言葉ともなればかなりの影響力はあるのではないだろうか。それとも「私ごときの意見、それほどの影響があるわけがない。」と謙遜なさるのか。
「言論の自由」というなのもとに「責任」は曖昧のまま時は過ぎていくのだろうか。それなりの肩書きにはそれなりの責任が伴なうものだと思うが。責任をとる場合だけ、肩書きはたいしたものではないことになるのだろうか。
エイズ間題もまたしかりである。責任ある人たち、責任ある官庁が責任ある行動をとっていれば唯一日本だけが血友病患者のHIV感染という被害を防ぎ得たという。厚生大臣が変わって、和解訴訟に国が応じる構えを見せている。
しかし、国が責任を認めても関わった人たち個人の責任には何のとがめもないことになる。危ない血液製剤を大いに勧めた医師たちは姿をかくしてしまったという。大いに勧めた理由は、値引きされた血液製剤(アメリカで売ることのできなくなった非加熱の血液製剤は、
五割、最高時には六割まで値引きされたとも言われている。)を患者に投与し、その代金は健康保険などから、薬価基準に基づいてフルに回収する。つまり、薬価基準と実際の取引価格の差額が病院の利益となるからである。その医師たち個々を訴え、
判決を待つその時間が被害者らにはないのである。唯一、阿部某氏だけは殺人未遂の刑事告発を受けている。彼は、血友病の最高権威とされる医師であり、大学の副学長でもある。血友病患者を救うべき立場にある学界の権威だが、
彼の言動なくしては血友病患者のHIV感染は語り得ないとされる。彼は、輸入濃縮血液製剤の危険についての警告に耳を傾け、その使用をやめさせられる立場にあったのにもかかわらず、逆にその使用を勧めたのである。さらに、
エイズの原因ウイルスを非活性化するための加熱処理を輸入濃縮血液製剤に早期に施していれば、これほどの感染者を出さなくてすんでいたはずだが、加熱製剤を承認させるための治験を、彼が遅らせたという疑いもある。
彼のつくった財団には血液製剤メーカーからの多額の寄付が行われているという。なかには、公に責任を認めた稀な医科大学教授もいる。彼は、輸入濃縮血液毅剤の危険についての警告を真剣に受けとめ対処し、彼の患者は大半が感染を免れた。
しかし、それでも患者の幾人かをHIVに感染させてしまった。そのことに対して彼は責任を認めているのである。責任をとるということは、いきつくところ、その人個人の良心に帰するのかも知れない。生じた問題への責任のとりかたも大切だが、
問題の起こらないように責任ある行動をとることはもっと大切なことではないのだろうか。著名な学者の皆さんには大事が起こる前にメンツに拘らず世の中に警鐘を鳴らしてほしいものである。その被害は、いつだって弱い者に降ってくるのだから。
日々報道されるオウム事件と「エイズ犯罪・血友病患者の悲劇」(桜井よしこ著)を読んで思ったことを書いてみました。
山梨大工・谷 和江
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『河川水』標準物質について
当社は、各金属不純物が、<10pptである超高純度分析用試薬を製造販売しています。近年、クリーンルーム等の環境整備や分析機器の著しい感度向上に伴い、ユーザーの微量分析における汚染への認識は高まり、同時に高純度試薬の品質への要求が厳しなる一方のため、
pg、fgというレベルの定量値を出すとき信頼性や精度の点でいまひとつ自信がなく、ついつい繰り返し個数が多くなってしまい、品質管理分析は、毎回、汚染との戦いです。そのような中、昨年の夏、「『河川水』標準物質をつくりませんか」というお話が
徳島大学薬学部の岡本研作教授と某分析機器メーカーのM氏からありました。丁度、水道基準や環境基準の改定があり、基準項目の大幅増加と基準値の強化がおこなわれた頃で、多数の項目について、ppbレベルの低濃度を測定するのは極めて難しいため、
分析機器の校正や分析精度管理に標準物質が必要だという声が数多く寄せられたことが発起の理由でした。我社の高純度試薬の品質と充填技術を見込んで下さってのお話で、会社としても新しいことへのチャレンジと日本の化学分野だけではなく世界に大いに貢献するという
会長、社長の方針にピッタリでしたのでお引き受けしました。担当する方としては、岡本研作先生といえば国立環境研究所時代から環境標準試料を手掛けられている日本のパイオニアでありエキスパートですので先生にご指導いただけるのなら大船に乗ったも同然と少々
甘い気持ちがあったことは確かです。
現在、水道水の原水として使われている河川水を濾過、硝酸でpH1.3に調整、放置、精密濾過した無添加試料と同試料に基準値の1/5〜1/10となるように基準項目を添加したスパイク試料を調製しボトル充填を終え、均一性と安定性のチェックを行っているところです。
ここまでの間で岡本研作先生が最も重要視されたことは、試料の均一性であり、何回かの混合を行った結果、大変良いデーターが得られています。岡本研作先生は、ご多忙の中、採水や金属元素標準液添加の時には現場で最後まで立ち会い、手を貸して下さいましたし、
標準物質小委員会の設置、日程調整、資料作成、共同分析依頼のための書類作成さらには分析データーの検討等と実に段取りよく、惜しまず精力的に標準物質頒布に向けて進めて下さいます。こちらは、その指示に添って作業や分析を行うだけなのですが、それがなかなかで、
この二ーズの高いときにという先生の心意気に応えられずいつも作業や分析が遅れてしまい誠に申し訳けないことです。また、セイコー電子工業(株)の川瀬晃先生には、化学技術研究所からの標準物質を指導しておられる立場からご意見をと来ていただいたのですが、
金属元素の標準液を作成するにあたり、私の余りの無知と手際の悪さに「見てはおれぬ」と自ら高純度金属の精秤、溶解、定容を行って下さいました。これは、もう素晴らしいの一言で、高純度金属をO.1gを量り採るのに1回で0.O001gの誤差に収まってしまうのです。
さらに、溶解の観察の仕方、酸の加える加減、定容の手際の良さ、必要事項のメモの要領を得ていることと全てが絵になる美しさでして、この技に直に接することができたことは、大変貴重な経験でした。川瀬先生と岡本先生のドラム缶、台秤り、
ボンブやポリタンクで河川水を量ったり、移したりしていらっしゃるときの目の輝きや楽しそうなご様子は大変印象的でした。などというと叱られそうで、こんな偉い先生方に御足労掛けるのは、ひとえに私の準備不足と手際の悪さが原因であり大いに反省するところです。
標準物質認証値決定小委員会では、武蔵工業大学の平井昭司教授にLSI用二酸化ケイ素とアルミニウム(ppbレベルのU、Th)の標準物質を作成された経験から貴重な提案やアドバイスをしてただき、大変参考になっています。
セイコー電子工業(株)では、目安をつけるための測定を快くICP-AESとICP-MSで行って下さいました。また、国立環境研究所の吉永淳先生も委員会のメンバーに入っていただき、岡本研作先生の一言でウムを言えぬまま、
均一性と安定性の確認の分析を同位体希釈法で行って下さっています。きっと、分析に携わっていらっしゃる方は、どなたもそうだと思うのですが、特に、標準物質の認証値のための分析となると「これでいいのかな、ヘタなデーターは出せないゾォ!」という気持ちが強く、
力が入ってしまい夜も深々と更けていくのです。このように多くの方々のご好意と新しい標準物質に対する先生方の熱意に引き摺られて、どうにかこれまでのステップを越してきたというのが実感です。これから、共同分析、認証値決定と山場を迎える訳ですが、
岡本研作先生が出された共同分析依頼のアンケートヘの回答には、熱いラブコールが多く、「こりゃ、フンドシを締め直して掛からんといかん」とプレッシャーが掛っています。今年の長かった猛暑も和らぎ、秋の気配が感じられるようになりましたが、
『河川水』標準物質認証値決定のための共同分析に参加してくださる皆さん!本学会の前後にサンプルが届くはずですので、「ヘタなデーターは出せないゾォ!の心意気でよろしくお願い申し上げます。
多摩化学工業(株)川崎研究所・赤羽勤子
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デンバーX線分析学会に参加して
この夏7月31日(月)から8月4日(金)まで米国コロラド州コロラドスプリングスで開催されたデンバーX線分析学会に参加しました。この学会はデンバー大学とICDD(International Centre for Diffraction Data)が主催し毎年デンバー市またはその近郊で開催されます。
私は7年ぶり2度目の参加でした。学会と開催地Colorado Springsでの経験談を少し雑談的にご紹介したいと思います。
学会の名称は、「44th Annual Denver X-Ray Conference」で、X線を用いる分析技術全般を取り上げる学会としては多分唯一の国際学会です。参加者は約500名で、地元アメリカの方が多いのですが、日本からの参加も多くカナダ、オーストリア、ドイツ、イギリス、
中国、インド等々10数カ国が参加しています。私も数人日本の知っている人にお会いしました。国内の学会では会釈する程度の方でも外国でお会いすると何となく親しくお話してしまいます。7年前にこの学会に参加したときは日本人に会うと日本語で話せるので
つい気がゆるんで良くないなどと思いましたが、今回は日本の方と親しくなれるのも海外の学会のメリットの一つかもと肯定的に感じました。
Colorado Springsに着いたのは30日の夕方でした。飛行機でDenverから南に30分ほどです。ロッキー山脈の東側の標高1000m位の高地で、リゾートに訪れる人が多いそうです。町の西側には標高2000m以上の山々がそびえています。
学会は町の南のダウンタウンに比較的近い方にあるシェラトンホテルで開催され、私の泊まったマリオットホテルは北のはずれにあり、タクシーで10分以上かかります。
空港から乗ったタクシーの運転手は私にColorado Springsは初めてかと聞き、初めてだと答えたので、空港から遠国りをして1.5倍位高い料金をとりました。でも、そのおかげで町の大体の大きさがわかりホテルから学会会場までの所要時間もわかりました。
空港から初めての町に入ったときは少しドライブしてみるのも良いかも知れません。
この町はゴールドラッシュによりできたそうです。ゴールドラッシュが過ぎてからは観光地を目指して開発を進め、これだけの町になったとのこと。当時のアメリカ人のたくましさにはあらためて感心しました。車で数10分走ると珍しい風景、美しい風景、滝、
洞窟等々楽しめるところが色々あります。また有名なエアフォースアカデミーという空軍関係の学校があり、広大な敷地にビジターセンターもあり観光スポットにもなっています。車で走っていると黄色い花を沢山見かけました。よく見たら発育の悪いヒマワリでした。
カラスがいましたが東京のカラスに比べると痩せていて色つやも悪い感じです。種類も違うのかも知れませんがこのあたりは土地が痩せているし人口密度も低いし、渋谷や銀座に巣くっているカラスは本当に恵まれているのだなと思いました。
ところで学会ですが、私は2日目の夜のポスターセッションで発表しました。ポスターセッションと同時にミキサーがあります。つまりポスターを見る人はビール片手にハムとか野菜とかつまみながらdiscussionするわけです。これはなかなか良いやり方だと思いました。
私自身は発表したのでビールを飲む暇はなく、色々な方に説明したり質問に答えたりでしたが、楽しく忙しく有意義な時を過ごすことができました。ポスターは知りたい発表をじっくり見ることができ色々なdiscussionが好きなだけできて、口頭発表よりむし効率的
且つ効果的で良いと思いました。最近は日本でも国際学会が多くなりましたが、世界も狭くなったことですし、学会は原則的には国際学会であるべきではないかなどと思いました。私は英語が不得手ですが、得意なかたが多くなっていますし、
外国の方で日本語を話せる人も多くなりました。世界が狭くなったとはいえ、外国は外国です。よく知っているはずのアメリカヘの出張でしたが、色々な経験をし、新鮮な印象を持ちました。
(株)東芝環境技術研究所・竹村モモ子
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第36回機器分析講習会
例年2コースづつ行われてきた機器講習会であるが、本年度は昨年好評であった「有機組成分析の基礎と実際」と「高速液体クロマトグラフィーの基礎と実際」に加えて、「最新鋭装置による表面分析法の実際」の3コースとなった。
第1コースは6月21日から23日まで素形材センター(久留米市)で行われた。講義は概論と各論のIRの部を樋口精一郎氏(東大工)、葡処理法を中村洋氏(東理大薬)、質量分析法を脇 浩氏(三井東圧化学(株))、NMRを佐藤宗衛(大蔵省関税中央分析所)、
化学分析法も含めた定量法を難波隆二郎氏(資生堂)等、また、実習は東レリサーチセンター、横河アナリティカルシステム、資生堂、日立、島津、日本分析工業等、多くの企業の協力のもとに行われた。本コースはコーディネーターの井垣浩侑氏(東レリサーチセンター、
関東支部監事)の哲学が十分に活かされたもので講習会の一つの範というべきものであった。
氏の語録を拾うと「出席した人の上司も知らないことを一つでも覚えて帰って貰う。上司に出してよかったと思わせる」「機械にはどんどん触って貰う。壊れたらその場で直して見せる。この機械なら買っても大丈夫ということを見せ付ける。」などで、
ご多忙にも拘わらず、ずっと陣頭指揮をとられた。私は初日の午後少々勉強させていただこうと会場を覗いたが熱気に溢れ、会場は満員、とても入り込む隙間がなかった。氏がいわれるように今、もっとも二ーズの多い分野ということであろうか。
希望者が多くかなりお断わりをしなければならなかったと聞く。
第2コースは7月4日から6日に掛けて行われた。講義は中村洋氏のHPLCに関する総論と各論として検出の他、分離を渋川雅美氏(千葉大工)、前処理を西川隆氏(北里大医)、ライフサイエンスヘの応用を星野忠夫氏(慶応義塾大医)、
光学異性体のHPLC分離を二村典行氏(北里大薬)、LC-MSの現状を土屋正彦氏(横浜国大工)と基礎から応用まで網羅されていた。講義は理科大の17階記念講堂、実習はコーディネイター中村洋氏の本拠地、薬学部の学生実験室2室をフルに使った。
学生数の多い私学の学生実験室であるから広いので、いくつかの班に分かれて行われた実習でも他の講師の声に邪魔されることもなく、参会者には好評であったようだ。
私も前コースの井垣氏の言葉が耳に残っていて、参会者が眠ったりしないで講義を受けてくれるようにコーヒーなど適当に入れたり多少はお手伝いをした。講義終了後には講師全員、実習協力企業の技術員、それに参会者のほとんどが加わって懇親会がもたれた。
直接講演者と話す機会をもつことは理解を増すためにも非常によいことである。今後もぜひこのような形式の懇親会をもってほしい。このコースは何回か続いているということなのだが、今回も非常に多数の希望者があったと聞く。
第3コースは7月20日と21日に慶応義塾大理工学部の講堂を使っての講義とアルバック・ファイでの実習からなった。3回のコースの中でもっとも機器分析らしい講習であった。しかし、表面分析は分析の人間より応用物理や金属関係に二ーズが広いらしいので、
今後続けて行うなら呼び掛ける方面に気を配る必要があるようである。それにしてはコーディネーターの鈴木孝治氏(慶応義塾大理工)、黒沢賢氏(NTT)の努力で多数の参加者があった。ゆったりとした講堂で、鈴木氏のお気遣いで研究室総出でのサービスを受けた。
講義は総論としての表面分析法の最新と実際を二瓶好正氏(東大生研)に続き、オージェ電子分光法の最新と実際を田中彰博氏(アルバック・ファイ)、X線光電子分光法の最新と実際を志智雄之氏(日産アーク)、二次イオン質量分析法の最新と実際を本間芳和氏(NTT)、
表面分析法の今後の展開を工藤正博氏(成渓大工)とこのコースも基礎から応用まで気合の入った講義で参会者は初心者がほとんどであったが、十分に理解でき、質問も多かった。実習後、鈴木氏のとったアンケートによると普段、
見たこともない最新鋭の機械を一度に直接見て比較できたことを喜ぶ声が多かった。中には、学会内に分析のコンサルタントの窓口を設けてほしい。という意見がだされていた。
以上、実行委員長とは名ばかりでなんのお手伝いもしなかったので偉そうなことをいう資格などまったくないのですが、ゴーディネーターの各先生とその先生と大変親しい講演者のお陰で本当に充実した講習会が開け、大成功と言えると思いました。来年度、
井垣氏が関東支部から抜けてしまうと第一コースはどうなるのかわかりませんがなんとか続けることができたら素晴らしいと思います。この場をお借りしてゴーディネーターの先生方、講師陣、協力メーカーの皆々様に、心から御礼申し上げます。
長谷川佑子(東京理科大学理学部化学科)
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第3回・アジア分析化学国際会護に出席して
標記国際会議が本年8月20日〜24日、大韓民国・ソウル市で開催された。分野はAtomic Spectroscopy、Molecular Spectroscopy and Chemometryを始めとして各分野を含め10sectionで、4日間にわたり5ルームで発表と熱心な討議が行われた。
会場のSeoul Education and Culture Centerは、近年都市化が進んだ、いわばソウルの郊外で、中心部より2つの山を隔てた南々東約12kmの静かな森の中にある広大で近代的な施設でした。グランド、テニスコート、プールやボーリング場も完備し、
宿泊も1,000名収容が可能であると聞いています。当国際会議の他にも各種団体による行事でにぎわっており、その中に多くの日本人を見受けました。
講演はポスターを含め韓国109件、日本45件、中国33件、その他ロシア、ベトナム、バンクラデッシュやイスラエル等11ケ国で合計216件。その他にPlenary Lecture2件、Ueno Memoria1 Symposium7件の講演が非常に広々としたホールを利用して行われた。
参加者は約300名で、山本勇麓先生、赤岩英夫先生をはじめ日本から約50名近い方々にお逢いでき、有意義で楽しい数日間を過ごすことができました。また、広い会場には31社からの展示があり、日本でもおなじみの大手分析機器メーカーなどは4〜6ブースを占領し、
活発な宣伝活動で賑っておりました。また、地元メーカーの洗練された各種機器を眺め、ハングル語さえ見えなければ、さながら日本に居るかのようで、まさに世界は狭しと感じた次第です。このように、韓国の経済や技術の発展には目を見張るものがあり、
街では車ラッシュによる道路の渋滞。もっとも一千万人の市民の足は主な交通機関である4線の地下鉄道ではまかない切れないのも当然で、過ぎにし東京を想いおこしました。講演終了後、23日のBanquetでは女子大生による民俗舞踊を観賞しながらの美味しい韓国料理に
楽しい一時を過ごしました。ソウルでは丁度この期間中毎日雨に見舞われ、24日のKorean Folk Villageのツアーも予定変更を余儀なくされ、景福宮を見学されたそうです。見学会をもって全ての日程が成功裡に終了しましたが、
韓国から届いたサーキュラーやプログラムに前述のセンターの住所や電話番号が一切記入されておらず、ソウルに到着してから当地を探すのにさんざん苦労しましたが、私だけではなかったようです。このことが実行委員会としての唯一のミスであったと言えるでしょう。
次回(第4回)の国際会議は今のところ、1997年にイスラエルで開催される予定です。1994年・関東支部ニュース(No.4)に、中埜先生が「見学会参加の薦め」として、参加による懇親の意義の大きさについで述べられておりますが、まさしく「ASIANALYSIS」においては第2回、
第3回ともその感が強く、次回も多数の方々のご参加を期待し、ここに、ソウルでの印象をしたためました。
日本大学理工学部 奥谷忠雄
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編集後記
◆1995年1月、神戸市街地を中心に壊滅的な被害をもたらした阪神大震災は列島を震憾させました。8月、関東・東京は100年ぶりの記録的な猛暑に見舞われ、新潟では集中豪雨により大きな被害を受けました。
自然界における人間の存在をあらためて思い知らされたのではないでしょうか。◆杉谷・康・川久保の各先生のご努力で発行を重ねてきた関東支部ニュース、今回は編集を引き継ぐ形で、第6号をお届けする運びとなりました。
◆今年は、いろいろな意味において女性の年といわれています。「超氷河期」ともいわれる女子大生の厳しい就職状況が伝えられる中、男女差撤廃ミを求める第4回国連世界女性会議(北京)が開催され、
NGOフォーラム(非政府組織)と政府間会議のそれぞれで活発な議論がされました。◆ニュース第6号では、『特集女性会議NGOフォーラム』を組み、支部役員としても活躍する女性科学者からの自由な声をお送りすることと致しました。
ご多忙のなか、快く原稿執筆をお受け頂いた諸先生方には心よりお礼を申し上げます。◆11月の支部創立40周年記念行事には、多数の皆様のご参加をお待ちしております。◆今後も、支部会員の気軽な意見交換・情報発信の場としてニュース紙面をご利用下さい。
1995年度編集委員:平井昭司(武蔵工大)、大和 進(新潟薬大)
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